スティーブン・ソダーバーグ監督の長編初監督作品(当時28歳!)である、この『セックスと嘘とビデオテープ』(1989年)を私が最初に見たのはたしか90年か91年だったと思います。東京で一人暮らしをするギリ10代の学生でした。懐かしい。。
こじらせた厨二病(笑)、思春期に体験した幾つかの挫折、そして
「自分は何か特別な存在なんじゃないか」
という、これまたありがちな勘違い(笑)によって何かと内に籠りがち(精神的に、という意味で)だった自分にとって、妙に琴線に触れるものがある映画でした(特にグレアムの「人の人生に影響を与えないように生きてきた」という言葉など)。
あとこの映画を見たことで、その後ずいぶん長い間アンディ・マクダウェルは自分の中で好きな女優の特別枠でした。順位をつけることをあまりしないので「一番」とは書きませんが、とにかく特別。もちろん他の出演作もいろいろ見ました。
地方の田舎に住む高校生だった頃から
「仕事はお金を稼ぐためのもの」
「それでお金を稼いで生きていくのが当たり前」
「好きか嫌いかじゃなくて給料が良くて安定しているかどうかが大事」
「みんなそうやって生活している」
「早く結婚して子どもがいて自分の家を持つのが幸せ」
といった周りの価値観にどうしても馴染めずにいたので、この映画のグレアムのような
社会の歯車からはみ出しつつもなぜかお金はあり(ここが重要なポイント① 笑)
ちょっと芸術家風情でミステリアス
誰にも迷惑をかけず、そのかわり自分だけが満足できる、とても小さくて閉じた世界で生きていながら、
それでも美女が向こうから近づいてきて自分の世界に入ってくる(重要ポイント② 笑)
という生き方に対して「これだ!」というようなものを見出していたのかもしれません(笑)。
映画ではその生き方は最終的に否定されることになったのにも関わらず……
当時は気付かなかった部分
上記の通り、物事の表層だけを見て勝手に影響を受けていた(笑)若き日の私には、この映画の細かいところまではよく分かっていなかったようです。
例えば、妹のシンシアは実は頭がよくて、あの中では人として一番まともだったこと。もちろん姉の夫と不倫している時点で「まとも」とは言えないのでしょうが、他の3人の歪みに比べれば一番ストレートな生き方をしている人でしたね。
またアンがいかに精神的に不健康・不健全な状態だったか──ということもそれほどは意識していなかったかもしれません。
当時は水回りの掃除をしている場面で蛇口を執拗に磨いているのを見て、ちょっと病的だな…くらいにしか思わなかったのですが、見直してみると最初のカウンセリングから不健全そのもので、しかも自分自身がそのことにはっきり気付いていないんですよね。精神科医のカウンセリングを受けている時点で多少なりとも何かしらの問題を抱えているということは自覚しているのでしょうけど。
アンは「人とは、女性とはこうあるべきもの」という観念で自分を縛り付けているために、自分を全く解放できていません。
自分の中に溜め込んだものを解放できずにいますが、押さえつけているのは他の誰でもない自分自身(自分が作り出した観念)です。
「自分の価値観での正義」と合わないものは全て正しくないと思っていて、自身に何か問題があることは自覚していつつも、その問題の原因は自身が作った固定観念だということを分かっていません。だから彼女の潜在的な不満は、常に「自分の正義感や倫理観から外れたところで生きている人」に向かいます。(ゴミの問題、社会の不平等、奔放な妹など)
こういう自家中毒みたいな問題を抱えている人っていっぱいいますよね……。まぁおそらく誰にでも少なからずこういう側面はあると思うのですが。
※「自家中毒」とは、外部から毒性物質が入ってきて病気になるのではなく、自分の体内で作られた毒性物質により中毒症状を起こしてしまう病気のことです。関係ないですが私は子供の頃、毎月のようにこの病気にかかっていました。
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