ワタナベの中のINFxらしさと緑の中のxNFPらしさ
二人が初めて言葉を交わしたとき、ワタナベはいきなり自分に話しかけてきたこの女の子が誰なのか最初のうちは分からかったのですが、その理由が彼女のベリーショートになった髪型のせいであることに気付き、何の下心もなくサラリとこう言います。
「でも全然悪くないよ、それ」
「ちょっと横を向いてみてくれないかな」
「僕は今の方が好きだよ」
下心だとか良く思われたいといった狙いが全くなく、またとくに深い意味もなくこういったことを平然と言う男が世の中にはいますが、私もどちらかというとその部類に入るのでここでのワタナベの感覚は分かります。
別にそれが長所かどうかということではなく、ただ気付いたから、そう思ったから言っているだけなんですね。もしそこで言わなかったらたぶん忘れるし、少なくともそれを言って相手が気を悪くすることもないんだから別にいいだろうという、ただそれだけの理由。
一方の緑のほうはというと、このときの会話でワタナベの言ったことを2回まねて口にするのですが、その2回目で
「『とくに好きなわけじゃない。なんだっていいんだよ』」と彼女はまたくりかえした。「私、あなたのしゃべり方すごく好きよ。きれいに壁土を塗ってるみたいで。これまでにそう言われたことある、他の人から?」
といった発言をしています。褒めているんだけども一切媚びがなく、また褒めて喜ばせようと思って褒めているのではなくてワタナベの話し方が自分の感覚・感性に合ったからそれをそのまま言っただけ、というのが分かります。
こういう予想もしないところを褒められると「あ、この人は自分のことを受け入れてるんだ」と思えて人は嬉しくなってしまうものです。とくに見た目(または能力・才能など)を褒められる機会がまあまあある人であれば尚更こういう台詞は刺さるのでしょう。もちろん社交辞令で褒めているかどうかなんて褒められ慣れている人はすぐ気付きますし。
緑とワタナベの会話では、基本的に緑が話し倒してワタナベは聞き役に徹し時々合いの手を入れる程度、というパターンとなっています。しかしそれでも少ない自分のターンの中から出てくる言葉には他の男にはない個性が出ていて、そこにENFPの緑は相性の良さを感じているようにみえます。
順を追ってピックアップしていくと、まず緑が会話の終盤で次の約束を持ちかけるときのアプローチというのが実にENFPらしいものであることに気付かされます。
そしてその外向性・積極性は内向型のINFJ男にとっては快適に感じられるものとなっているのです。
「もし時間があったらでいいんだけど」とか「これこれこういうのなんだけど、ダメかな?」みたいに下手に出て恐る恐る都合を尋ねるようなことはせず、
「ねぇワタナベ君、あさって学校に来る?」
「来るよ」
「じゃあ十二時にここに来ない? ノート返してお昼ごちそうするから。べつにひとりでごはん食べないと消化不良おこすとか、そういうんじゃないでしょう?」
「ところでワタナベ君、今度の日曜日は暇? あいてる?」
「どの日曜日も暇だよ。六時からアルバイトに行かなきゃならないけど」
「よかったら一度うちに遊びに来ない? 小林書店に。店は閉まってるんだけど、私夕方まで留守番しなくちゃならないの。ちょっと大事な電話がかかってくるかもしれないから。ねぇ、お昼ごはん食べない? 作ってあげるわよ」
どちらも単刀直入に誘ってその目的を明確に伝えていますが、決して自信満々に誘っているというわけではないのに、同時に受け入れられなかったらどうしようという、内向型にありがちなマイナス思考も感じられません。そもそも「失敗する未来の状況」というものを(内向型の人たちほどには)考えたりしないのかも。
断られるかも…といった不安要素が全く含まれていないのに、嫌味な感じや上から目線な印象も見られない──こういったところにも、ごく自然に人の領域にすっと滑り込んでくるENFPの優れた外向性を見ることができます。(先ほどの①)
そしてこういった緑のアプローチはその後何度も出てきます。
調べものをするために文学部の図書室に向って歩いているところで小林緑とばったり出会った。彼女は眼鏡をかけた小柄な女の子と一緒にいたが、僕の姿を見ると一人で僕の方にやってきた。
「どこに行くの?」と彼女が僕に訊いた。
「図書室」と僕は言った。
「そんなところ行くのやめて私と一緒に昼ごはん食べない?」
「さっき食べたよ」
「いいじゃない。もう一回食べなさいよ」
「ねえワタナベ君、午後の授業あるの?」
「ドイツ語と宗教学」
「それすっぽかせない?」
「ドイツ語のほうは無理だね。今日テストがある」
「それ何時に終わる?」
「二時」
「じゃあそのあと町に出て一緒にお酒飲まない?」
「昼の二時から?」と僕は訊いた。
「たまにはいいじゃない。あなたすごくボオッとした顔してるし、私と一緒にお酒でも飲んで元気だしなさいよ。私もあなたとお酒飲んで元気になりたいし。ね、いいでしょう?」
このふたつの会話に共通している、緑の自己肯定感の高さを如実に表しているのが
「私と一緒に」
という言葉を付け加えている点です。どちらも「私と」を省いても成立しますし、最初のほうに関しては「私と一緒に」をまるっと抜いても同じ意味として成立します。でもこれを含めるのと含めないのとでは言われた側の印象は全く異なってきます。
この一言を含めて言える日本人ってきっと少ないでしょうね。なぜならこれが言えるのは自己肯定感が高い人だけですから。
私が仲良くしているENFPの人たちもなんだかんだで皆やっぱり自己肯定感が高く、誘い方にはこれと近いものがあります。彼らにも当然悩みはあるし闇の部分も持っているのですが、それでも根本では自分をちゃんと愛し認めており、自分自身を卑下してまで人に取り繕うようなことはしない、という点で共通しています(ブラックなジョークでわざと卑下するふりをすることはありますが)。
ここからは引用する会話が物語の流れと一部前後しますが、MBTI的観点からまとめた順に並べていきます。
先ほどの②と③に該当する、お互いに直観型であるため脳内で会話を省略してしまったり、抽象的なことを唐突に言ってしまい「いきなり何を言うんだこいつは」と思われがちなINFJとENFPですが、そんな両者同士の会話ではそれが成り立ってしまう、という例がこちらになります。
「~(略)、なんのかんのでね。看病してたおかげで私は勉強できなくて浪人しちゃうし、踏んだり蹴ったりよ。おまけに──」と彼女は何かを言いかけたが思いなおしてやめ、箸を置いてため息をついた。「でもずいぶん暗い話になっちゃったわね。なんでこんな話になったんだっけ?」
「ブラジャーのあたりからだね」と僕は言った。
「そのだしまきよ。心して食べてね」と緑は真面目な顔をして言った。
本を読めばブラジャーとだしまき玉子が話の中で繋がっていることは分かるのですが、ふたりの会話だけを抽出してみるとなんのこっちゃという感じです。
お互いに頭の中でショートカットしている部分があるのに問題なく話が通じていて、しかもそれが当人たちの間では全然変じゃない、というのが直観タイプ同士の面白いところなのかも。
またNe持ちによく見られるムーブとして、話が突然脱線したり関心事がいきなり別のところに行ってしまうというのがありますが、少なくともINFJとしてはそういった奔放さ・フリーダムさはとくに嫌になるようなものではありません。どちらかというと面白いなぁと思って聞いています。
そんな唐突な脱線が見られる場面もあります。
「いいのよべつに、欲しくなくたって」と緑はピスタチオを食べながら言った。「私だって昼下がりにお酒飲んであてのないこと考えてるだけなんだから。何もかも放り投げてどこかに行ってしまいたいって。それにウルグァイなんか行ったってどうせロバのウンコくらいしかないのよ」
「まあそうかもしれないな」
「どこもかしこもロバのウンコよ。ここにいたって、向うに行ったって。世界はロバのウンコよ。ねぇ、この固いのあげる」緑は僕に固い殻のピスタチオをくれた。僕は苦労してその殻をむいた。「でもこの前の日曜日ね、私すごくホッとしたのよ。あなたと二人で(以下略)」
もし自分が話している最中に目の前の何かが気になって一瞬話を脱線しようと思ったら、脱線する前にワンクッション挟むと思います。ここでの会話であれば「世界はロバのウンコよ。」と「ねぇ、この固いのあげる」の間に少し間を取るとか「あ、」とか「っていうか一瞬話変えていい?」みたいな感じで。そうしないと相手が混乱するかも…と少し気になってしまうからです。あと自分自身がENFPみたいに瞬間的な切り替えができないっていうのもあるかもしれません。
Fe持ちのように変な気遣いをすることもなく、さらに頭の中での切り替えも秒で出来るところはNe-FiのENFPならでは、といったところでしょうか。
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