もともとは92年のミュージカル作品を映画化したもの
この映画『リトル・ヴォイス』は『007 スカイフォール』『007 スペクター』『1917 命をかけた伝令』などで知られるサム・メンデス監督の演出による1992年のミュージカル『The Rise and Fall of Little Voice』の映画化作品なのだそうです。もともとミュージカル作品だったんですね。
そしてそのミュージカルで主人公LV役を演じたのが他でもないジェーン・ホロックスということで、『リトル・ヴォイス』とはまさに彼女のあの才能があってこその物語──と言っていい作品なのでしょう。いやー全然知りませんでした。
またこの映画の撮影時、なんとジェーン・ホロックスさんはすでに30代半ば(なお既婚)だったようで、そのことを知ったときには軽く衝撃を受けました(笑)。LVの年齢設定は不明ですが、おそらく20代後半くらいが考えられる上限でしょうから、ミュージカルが公演された当時(まだ20代)に映画化されていたらもっと可愛かったんでしょうね。
言われてみればステージでの貫禄ある振る舞いや、映画の序盤で家の中を曲にノリながら歩いてる場面などからは30代を感じさせものがありましたが、それでも髪型といい服装といい喋り方といい、あのLVのキャラを30代半ばで出せるのはある意味ずるいと思います(笑)。
日本でもこういった「20代にしか見えない30代半ばで、独特なキャラの女性」はけっこういますが、そういう人って潜在的にすごくモテるんですよね…。
※「潜在的に」と書いたのは、好意を持つ男が主に草食だったり隠キャ系だったりするため、なかなか表にそのモテ具合が表れてこないからです(笑)。
このミュージカルが縁だったのかどうかは分かりませんが、サム・メンデス監督とジェーン・ホロックスはかつて交際していたことがあるそうです(日本語版と英語版のWikipediaより)。サム・メンデスは他にもレイチェル・ワイズなどとも付き合っていたそうで、そのレイチェル・ワイズが2011年に結婚した男が主演を務める映画(『007 スカイフォール』/2012年作、『007 スペクター』/2015年作)を監督することになる、というのも「へぇ」といった感じです。まぁ映画業界ではよくあることなのでしょうけど。
悪い大人にとってのLVと、ビリーにとってのLV
母マリーやレイ・セイといった周りの大人たちは皆、自分の利益のためにLVを外に連れ出して歌わせようとしましたが、無理矢理外の世界に引っぱり出された鳥かごの中の鳥(LV)は、大人たちの行いに傷付き再び元の場所へ籠もってしまうのでした。
LVにとって心地いい場所は大好きだった父が愛したレコードに囲まれた自分の部屋だけであり、彼女の歌も父との繋がりを感じられるからこそ歌うのであって、他の誰かに聴かせるためのものではありません。
そのことを周りの悪い大人は誰も分かってはくれませんでしたが、唯一
「ムリに歌わなくていいんだよ」
と言ってくれたのが、彼女の歌を一度も聴いたことがないビリーでした。(映画では結局ビリーは最後までLVの歌声を聴くことはありませんでした)
LVが見る幻の父親は彼女が歌うを見て微笑んでくれましたが、それを利用する大人たちによってLVは深く傷付き、外の世界を全て遮断して閉じこもってしまいました。家が火に囲まれていっても、彼女はそこから出ようとはしません。しかし自らの力では鳥かごから出ることが出来ない鳥を、その美しい声を全く知らない男が救い出します。
二度も悪い大人たちによって無理矢理外へ連れ出されたLVでしたが、自分が隠れていられる居心地のよい場所(=彼女のコンフォートゾーン)である部屋から、本当の意味で「外に連れ出して」くれたのは、彼女の歌を知らず(=彼女の才能が利益をもたらすことを知らない)ただ純粋にLVのことを想っている(=彼女の存在そのものに価値を見出している)ビリーだった、というのは何とも良く出来た美しいストーリーではないでしょうか。この辺りがおとぎ話のようなロマンティックさを感じる所以ではないかと思います。
さらにビリーはシャイで女性の扱いにもまるで慣れていない分、発言や行動に嘘がありません。
初めてお互いの名前を教え合い、彼女が「LV」という名前でその由来が「リトル・ヴォイス」の略だということを聞いたときも、ビリーは
「やさしい声ってことだ」
と言ったのでした。それも「褒めよう」という意図を持って言ったのではなく、素直にそう受け取っての発言です。
ちゃんとした名前がありながら、親から皮肉的な意味合いで「LV」と呼ばれている彼女にとって、“女の子を落とすテクニック”としての褒め言葉などとは全く別の、ただ純粋に「LV」という名前とその由来にポジティブなものを感じられるビリーの素直さは(このときは全然気付いていなくても)LVにとってはまさに王子様のような存在であったことでしょう。
またこのときビリーは仕事用の高所作業車を利用して2階にある彼女の部屋までクレーンで上がっていき、窓から彼女に語りかけるのですが、それは塔の上に幽閉されたお姫様に会いに行く王子様のようでもあり(コミュ障同士だけどw)、イングランドの劇作家シェイクスピアの戯曲『ロミオとジュリエット』のようでもあります。(マリーのセリフにもそういったものがありました)
仕事の車のクレーンで助け出すところなんかも実に庶民的(笑)で、絵的にはおとぎ話の王子様らしい格好良さはあまり感じられなかったかもしれません。ですが何かを察知して急いで駆けつけ、火に巻かれている家の2階から愛する者を助け出すなんてことは、選ばれた男にしかできないことです。
LVは父が愛したレコードのコレクションと、父の思い出とともに閉じこもっていられる場所を失ってしまいましたが、ビリーによって外の世界に連れ出され、ようやく自立し自由に飛び立つことが出来ました。ラストシーンで彼女が空に放った鳩は、そんな自分自身の投影のようにも見えます。
ビリーはLVが聴いていた曲や歌手についてはほとんど知らないのかもしれませんが、亡くなった父親への依存から脱却し自身の人生を新たに歩んでいくためには、フィーリングはぴったりで尚且つ自分の知らない世界を知っているビリーのような男性が一番良いのかもしれませんね。
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