私個人の経験から
ここでは詳しく書くのを控えますが、私には過去に自分の人生を変える大きな出来事がありました。
そのときにとても世話になった人は何人もいますが、その中でも絶対に外せない中心人物が先ほど書いた「親友」です。その人とはその出来事の前からすでにかなり仲良くしていて、それが起きても起きなくても親友だったと思います。
ちなみにその人は私よりも10歳近く年上のENFPで、何度も一緒にその人の車で長距離移動をしたり、寝泊まりを共にしたりしましたが、話題に困るとか沈黙に気まずくなるようなことは全くありませんでした。
そしてもうひとり、同じ「ある出来事」のなかで、その親友とは違った形ですごく世話になったというか、精神的に助けてもらった人がいました。
正確にはこちらがその人を手伝った側なのですが、その人がやっていたことと、それに関わったことで当時の自分は精神的にものすごく救われたので、私にしてみれば「あなたを手伝う機会を私にくれてありがとう」という心境でした。
その人はおそらくENTPで、結構いい加減だし人間性という意味で色々とムカつくところがある問題児ではあったのですが、それらを全部チャラにしてもいいくらいにその人との関わりは当時の自分を救ってくれたのでした。
そこで気がついたんです。
相手が自分のことを友達だと思ってるかどうかなんてどうでもいい。自分がそうと決めたのなら、その人はもう自分の「友達」なんだと。
相手の認識や判断なんて全く関係なくて、自分が相手のことをどう思っているのかが全て──そう思えるようになりました。相手が決めるんじゃなくて、自分が決める。相手がどう思っているかじゃなくて、自分が設定する、ということです。だって自分の内面のことなんだから。
ですがこういうことを言うと、
「友達とはお互いが対等でリスペクトし合える関係なのだから、双方が同じように相手を認めていなければ成立しないのでは?」
などと一見すると理に適っているような理屈をこねる人が出てくるかもしれません。ですが結局それって、まず自分が相手を信じていないという何よりの証拠なのではないでしょうか。
人の懐に飛び込むのは勇気がいることはよく知っています。友達だと思っていたのに裏切られて辛い、そういうことが起きるのを怖がる気持ちもよく分かります。自分も内向型ですからよく分かります。(←またここで共感を使って懐に入ろうとするINFJ)
でも、もし相手が探りを入れるような態度や値踏みするような態度でこちらを見てきたらどう感じるでしょうか?──そんな人と心を開いて友達になろうとはおそらく思わないですよね。まさに自分がそれをやっている、ということなんですよ。
だから時には余計なことを考えずに「自分から」壁をぶっ壊すことも必要なんだと思います。
例えばINFJと真逆のタイプであるESTPなどはヤンキー気質なところがあったりするので
俺がいいつってんだからいいんだよ!
といった感じで、相手がどう思うかなんて気にすることなく「こいつは俺の友達だから」と平然と言える長所を持っていたりします。内向型は現実世界でパッとしない奴という扱いを受けていることが多いせいか(違ったらごめんなさい)、ヤンキータイプの人たちを脳筋とか単細胞だと頭の中で見下している人も多いかもしれません(以前の記事で自分もそういう単語を使ったことがあるかもしれませんがたぶん気のせいですw)。しかし何でもかんでも熟考し無責任な発言や行動を取らないように気をつけるあまり、行動することに対して臆病になりがちな内向型にとっては、ああいう決断と行動が早い人たちの良さもときには見習っていいのではないでしょうか。
「面倒臭いやつに気に入られてしまった」とかいう場合ならともかく、裏表なく自分のことを友達だとはっきり言ってもらえるのって当たり前ですけど嫌な気はしないですよね。
っていうかもし典型的なESTPとかESFPあたりがこの記事を読んだら「なんなの、このグジグジと面倒くせぇことを言ってる奴は」と呆れてしまいそうな気が。
INFJにとっては決して得意なタイプではないESTPですが、ESTPの特徴が良い方向に出ている人はむしろ一緒にいて楽だったりするような関係・環境も実際にありますし、余計なことをあれこれ考えないところなどは真似していっていいように思います。もちろん真逆なんで彼らのインモラルだったりスリルを求めるような「遊び」にはついていけないことも多いのでしょうけど、それはまた別の話ということで。
いや、でもさぁ……
そうは言ってもそれが出来ないから辛いんだっつーの
という意見が出てくるかもしれません。それもその通りだと思います。「本当に」「どうしても」出来ないというのであればそれは仕方がないことです。
ですがひとつだけ経験をもって言えることがあります。
それは、通常時では出来なくても、人生に一度あるかないかのとんでもない出来事、人の生死がかかっている有事、一生のうちでここだけは絶対に逃げてはいけないというような場面、そういったときだったら案外出来るもんですよ──ということ。
いま出来なくてもいいので「いざというときには必ず出来る」と自己暗示のように自分に言い聞かせていればそれでOKです。
できれば誰だってそんな大変な状況には遭遇したくないと思いますが、残念ながら長く生きていればきっと誰もが一度はそういった大変で面倒なことを経験することになるでしょう。ですが心配しなくてもそういったときは勝手にリミッターが外れて信じられないくらいに逞しくなれたりしますから、ちゃんと普段は出来ないことも出来るようになります。逆に普段偉そうなことを言っている奴とかイキってる奴に限って有事の際に何も出来なくて口ばっかりだっていうのがバレたりするんですよね。
自分の秘めた強さとか可能性を信じてみましょう。
あとこれは余談となりますが、「自分の周りに友達になりたいと思う人なんかひとりもいねーよ」というケースも多くあることと思います。
でも別に直接会ったことのある人だけが友達というわけじゃないですから、その辺も気にすることは一切ないと私は思っています。
最初に書いたようにネットやケータイ、スマホなどのテクノロジーと、各種ソーシャルメディアなどのコミュニケーションツールの登場は人と人との関係構築をどんどん不健康なものにしているのは間違いありませんが、それらを上手に取り入れることだって可能なはずです。(まぁソーシャルメディアでそれを上手く活かすことも出来るとは思いますが、それよりも精神的に不健康になるリスクのほうが高いのでやっぱりおすすめはできませんけど)
ネットの中で知り合って一度も会ったことがないような人でも、すごく仲良くなって親友のような関係になることなんていくらでもありますよね。内向型の交友関係なんてたかだか半径数百メートルあるかないかでしょうから(適当)、その中にたまたま気が合う人がいなかったっていうだけの話で、日本だけじゃなく世界にアンテナを広げたらいくらでもいい人や面白い人はいますよ。
ときには一方通行で終わってしまうこともあるかもしれませんが、それもまた経験ってやつです。後で必ずいい話のネタになりますし(笑)。
…というわけでこんな読みづらい長文(27,000字近くにもなってしまいました)に最後までお付き合いいただいた皆様、誠にありがとうございました。
いやーさすがにこれは長すぎだわ。。
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