【誕生日の願い事は全部】映画『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』──人間の善悪は魂で決まる【君にあげるよ】

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IMDbのレビューで考えさせられたこと

 後半の感想へいく前に、最初に書いたIMDbのレビューについてと『ハックルベリー・フィンの冒険』との関連について書いていこうと思います。

 IMDbのサイトで今作のレビューを少しだけ読んでみたら、すごくいい内容のレビューを見つけてしまったんです。

 なんかこういうのを読んじゃったら自分なんかに何も偉そうなことを言う資格はないな…と思ってしまいました。ここまでさんざん薄っぺらいことを書いておいて何ですけど(笑)。

 というわけでこれはぜひとも他の方にも読んでもらいたいので、勝手に(笑)引用して紹介します。(なお翻訳はいつものDeepL翻訳です)

 

 

ダウン症の息子を持つ父親として、私はこの映画に大きな期待を寄せていました。インタビューやレビューをすべて見て、この映画を観るのをとても楽しみにしていました。

今朝、妻と私はこの映画を見に行きました。地元の映画館で最初に上映され、最初にチケットを購入した人でした。映画が始まると、私たちはザックとタイラーに感嘆しました。彼らの相性は抜群でした。シャイアはゴッティーゲンのそばにいること、一緒にいることを心から愛しているのが伝わってきました。この映画は何よりも私の心を幸せにしてくれました。

この映画では「R」という言葉を扱わなければならず、冒頭で子供がその言葉を口にするのを聞くのは苦痛でしたが、ザックの反応は伝説的なもので、私はそれを一生忘れないでしょう。この映画は、ダウン症の人たちに光を当て、一部の人たちが経験する苦悩を明らかにするという素晴らしい仕事をしました。

残念なことに、ダウン症の人を持つことが人生にもたらす喜びを知らない人たちがまだいるのです。すべてが完璧に理解できる、素晴らしい映画です。心あるすべての人に、この映画をお勧めします。願わくば、この映画がシリーズ化されることを願っています。個人的には、この物語が続く限り追いかけたいと思っています。

 

 

「願わくば、この映画がシリーズ化されることを願っています。個人的には、この物語が続く限り追いかけたいと思っています。」

 

 ダウン症の息子を持つというこのご夫婦は、これから先もずっと続く人生の物語の当事者なんですよね。だからこのような言葉が出るのでしょう。本当、言ってることにいちいち重みがあってまいっちゃいますね。

 

 またこのレビューでのそれ以外の重要な箇所として、

 

「この映画では「R」という言葉を扱わなければならず」

 

 というものがあります。いわゆる「R-word」と呼ばれるもので、使用には気をつけなければならないセンシティブな言葉です。今作で出てくるものはそのうちのひとつとされる「retard」というもの。

 Netflixの字幕では「ウスノロ」と訳されていましたが、この「retard」という言葉は

 

retard:(俗語/軽蔑的)知的発達の遅れた人、という意味で使われるタブーとされる言葉。

 

 という意味を持っているそうです。

 ちなみにザックが心酔していたプロレスラーの“ザ・ソルトウォーター・レッドネック”の「レッドネック」というのも差別的な言葉で、こちらは

 

redneck:(俗語/軽蔑的) 無学の白人、労働者を指す差別的な単語。(肉体労働で首が日に焼けるから)また田舎者に対しての蔑称としても使われる。

 

 という意味を持っています。90年代初頭頃にそういう名前の一発屋バンドがいたこともあり、この「レッドネック」の意味を知っている人は多いかもしれませんね。

 

こういうバカをすることこそ友情の証

 

『ハックルベリー・フィンの冒険』の現代版

 Wikipediaを見ると、今作は

 

『ハックルベリー・フィンの冒険』の現代版ともいうべき作品である。

 

 と書かれています。映画の中でも、ガソリンスタンドの店内でエレノアにタイラーが

 

夢を追って仲間と冒険してるかも

M・トウェインの世界だ

 

 というようなことを言っています。

 

 

 

 『トム・ソーヤの冒険』はアニメにもなったし児童文学として読む機会も多かったかもしれませんので知っている方も多いと思われますが、その続編である『ハックルベリー・フィンの冒険』は、名前だけは知っていても読んだことはない、という方のほうが多数なのではないでしょうか。

 私がまさにそうなのですが、どういう物語か知らなかったのでWikipediaでざっと調べてみると『トム・ソーヤの冒険』とは大きく異なり、社会的なメッセージが多く盛り込まれ現在でも物議を醸している作品なのだとか。

 『ハックルベリー・フィンの冒険』の舞台は南北戦争以前のアメリカで、主人公のハックが黒人のジムとともにミシシッピ川を下る逃避行の物語。

 前作の『トム・ソーヤの冒険』でトムとともに見つけたインジャン・ジョーの財宝を手にしたハックが、そのことを聞きつけてやってきたアル中で行方不明だった父から逃れる途中で、南部へ奴隷として売られるところを逃れてきた黒人のジムと出会い、ふたりは奴隷制を廃止した自由州へと向かってミシシッピ川を下る旅に出る──というストーリーとのこと。

 

 

 『ハックルベリー・フィンの冒険』も今作『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』のどちらも、主人公のふたりは誰かから逃げる立場であり、前者は奴隷制度が残っていたころのアメリカでの黒人に対する人種問題を、そして後者は家族に見放され施設に入れられたダウン症の青年と彼に対しての周りの人の扱いというセンシティブな問題について扱っている点、さらに彼らの移動方法が筏に乗っての川下りというところも共通しています。

 『ハックルベリー・フィンの冒険』について、アーネスト・ヘミングウェイは次のように評しているそうです。(Wikipediaより)

 

 

あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する。……すべてのアメリカの作家が、この作品に由来する。この作品以前に、アメリカ文学とアメリカの作家は存在しなかった。この作品以降に、これに匹敵する作品は存在しない。

 

 

 同じくWikipediaのほうではこう続いています。

 

 

無邪気で幼い主人公と、ミシシッピ川沿いに住む人々や景色の精彩に富む描写、そして当時の人種差別への、真摯かつ痛烈な批判的姿勢によって、本書は知られている。

 

 

 私が本国アメリカでの非常に高い評価の理由は何だろうと考えたときに思ったのは、私たち外国人には分からないアメリカ人の心の琴線に触れる何かがあるんだろうな、ということでした。

 

 

 エレノアが使っていたケータイ(スマホではない折りたたみ式)を除けば、これが70~80年代の映画だと言っても通用しそうなほど昔と変わらない風景であったり、緩やかな時の流れの中でただ目的地を目指して進む旅の自由さ(タイラーは追われているけど)であったり、さらにはアメリカ人が持っている個人主義が良い方向に働くときの懐の広さとか、ダウン症であるがゆえに嘘や隠し事のないザックの純粋さへの素直な感動などがそうなのだろうか──と考えていたのですが、それ以外にも『ハックルベリー・フィンの冒険』と重なるものがある、というのも大きな要因なのでしょうかね。

 

 

俗世間のしがらみから離れてどこかへ向かう──

金もなければその先に何か待っているのかも全く分からず、未来に何の保証もない。でもとにかくそこへ行く──

 

 そんな物語と、アメリカ人にとっての心の原風景とでもいうような、雄大でいてなおかつ泥臭さを感じるような“ザ・田舎”な風景に何か心動かされるものがあるのではないかと…。

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