95年の映画『Smoke』が21年ぶりにデジタルリマスター版として2016年12月にリバイバル上映され、自分のいる地域でも翌年から上映されたので2月に観に行ってきました。半年以上前に見た映画の感想ということで記憶もややおぼろげですが、本日このようなツイートを見たので本格的に忘れてしまわないうちに書いておくことにしました。
イオンシネマ特集企画が明日から、「ぼくの伯父さん」「スモーク」など10作上映 https://t.co/JZ6gwW98Ki pic.twitter.com/Wg8wYkD8MJ
— 映画ナタリー (@eiga_natalie) 2017年9月29日
20代前半~半ばあたりの時期に見て当時もいい映画だと思ったんですが、やはりこういう作品は若い頃に見るのと年を取ってから見るのとでは感じ方がかなり違うのを実感しました。
若い頃はなんでもかんでもきっちり答えを出さなきゃダメというか、なあなあにしておくのは無責任でいけないものだと思っていたような気がするんですが、この映画を見ていたら「人生の中で起こることの多くは、きっちり最後まで詰めて答えを出さなくてもだいたいなんとかなる」ということをその後の人生経験によっていつの間にか受け入れていたことに気付かされたのでした。
映画の主要な登場人物はこちら。
😎ブルックリンでタバコ屋の雇われ店長をしながら10年以上毎日同じ時刻・同じ場所で定点写真を1枚だけ撮り続けているオーギー
😐 オーギーの店の常連で数年前に銀行強盗の流れ弾で妻を亡くして以来、うまく書けなくなってしまった作家のポール
🙂 車に轢かれそうになったポールを助けたことで数日ポールの家にお世話になる少年ラシード(本名はトーマス)
😡 トーマスが子どもの頃に家を出ていった父親で、車の修理業&寂れたガソリンスタンドを営む片腕が義手の男サイラス
😕 かつてオーギーを裏切って他の男と結婚したルビーと、クズ男と一緒になっていろいろ困ったことになっているルビーの娘(父親はオーギーとのことだが、実は五分五分)
そして物語のなかで起こる出来事の抜粋がこちら。
➡ 父親の働くスタンドを見つけ少し離れたところからずっと見ているトーマスに苛立つサイラスだが、結局どこの誰かも分からない若者を事務所の上に住まわせてバイトとして雇う。(なおその後トーマスはオーギーのタバコ屋でも働き始める)
➡ トーマスがヘマをしてオーギーが荒稼ぎするはずだった売り物をダメにしてしまう。その補填にトーマスが以前拾った、ギャングの若者が盗んだ大金を充てるがオーギーはそのお金を娘を助けるためにとルビーに渡してしまう。結局荒稼ぎするつもりだったのに設けるどころか原価代が丸々マイナスに。
➡ オーギーはルビーに連れられ娘に会うが、ヤク中の娘に冷たく追い払われて状況は何ひとつ良くならないまま。
➡ ギャングは自分たちが盗んだ金を拾って持ち逃げしたトーマスがポールの家にいるのを突き止めて襲撃をかけ、ポールが怪我をする。
➡ 今の家族とピクニックに出かけようとしていたサイラスにトーマスがオーギーとポールに促され自分の正体を話すが、それをすぐに受け入れられないサイラスと取っ組み合いの喧嘩になる。
➡ ちょっと重い空気になりながらもその後みんなでピクニック。
➡ 数ヶ月後、NYタイムズからクリスマスの話についての原稿依頼があってネタを探していたポールに、オーギーが毎日写真を撮っているカメラを手に入れたときの心温まるストーリーを語る。でもその話はどうやら作り話らしい。
といった感じでみんなそれぞれに何らかの不運や不幸がありつつもそれなりに生きていて、この映画の中で起こる出来事はよく言えばおおらか、悪く言えばどれもこれもいい形で解決することなく成り行きで進んでいきます。そしてラストの「心温まるストーリー」でも、目の見えないおばあちゃんはオーギーが自分の孫じゃないことに気付いていながらも騙されたふりをして一緒にクリスマスを過ごしますが、そうすることでひとり寂しく暮らしていたおばあちゃんにとっては久しぶりの楽しいクリスマスとなったのでした。
きちっと結論を出して解決させることがいい場合もあれば、無理に答えを出さずになんとなく流れに任せてやり過ごすのがいい場合もある、ということは若い頃の自分には理解できなかったんだなぁとこの映画を見て改めてしみじみ思った次第です。やっぱりいつまでも若者のようにハリのある姿では生きられないわけですし、いろいろ弛んでくるのを受け入れていくのが楽な生き方なんでしょうかね(笑)
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