ラストシーンの解釈についての考察
どうやらあのラストシーンの意味──つまり
リーガンは死んだのか、それとも空を飛んだのか、サムは何を見て笑ったのか、
については「どれが正解」ということは公式には示されていないようでした。
そのため色々な解釈の可能性が考えられるようですが、なるほどと思うものから
「その発想はなかったw」
と思わせる斬新なものまで様々あるようです。
というわけで、それら幾つかの解釈を上げていく前に、あらかじめ以下の重要な要素・ポイントを確認していきます。
①リーガンが欲していたものは「俳優として再度の成功」「世の中から役者としての存在価値を認められたいという承認欲求」「元妻と娘との絆」
②ラルフの頭上を見やったすぐあとに彼の頭に物が落ちる
③NYの空を火球のようなものが飛んでいく描写がある
④リーガンは窓を開けたときに鳥たちが飛んでいく姿を見て安堵または満足し、同時に何かをしようと思い立ったような表情をする
⑤リーガンはかつて海で自殺しようとした
⑥リーガンは幻覚・幻聴に悩まされていた
⑦サムは薬物依存からのリハビリ中である
⑧オープニングで挿入されるレイモンド・カーヴァーの墓石に刻まれている言葉
AND DiD YOU GET WHAT YOU WANTED FROM THiS LiFE, EVEN SO?
この人生で望みを果たせたのか?
i DiD.
果たせたとも
AND WHAT DiD YOU WANT?
君は何を望んだのだ?
TO CALL MYSELF BELOVED, TO FEEL MYSELF BELOVED ON THE EARTH.
“愛される者”と呼ばれ 愛されてると感じること
※英語の大文字・小文字は映画内の表記に合わせました
ラストシーンの解釈その1:リーガンは空を飛んだ
これはSFヒーロー物の映画が大好きな人や超常現象と呼ばれるようなものを普通に信じることができる人、または深く考えずに見たものをそのまま額面通り受け止めてしまう人(笑)が辿り着く解釈ではないかと思われます。
そういう私も超能力はあると普通に信じていますので(笑)、最初はこの解釈を考えました。
これの根拠となるものはやはり要素②です。あの事故が偶然じゃなければ何の力が働いてセットが落下したのか、と。
またこの「解釈その1」は、
映画内でそれまでリーガンが起こしてきたテレキネシスは幻想だが、最後に病室のバスルームで「バードマン」にきっぱりと別れを告げたことで(というかリーガンが欲していたものである①が全て手に入ったため→⑧)自身の中の幻影から解放され、現実に念力を得たのか、はたまたサムには象徴的にそう見えただけ(⑦)なのかは不明。
ですが、とにかくリーガンが飛び去るのをサムは見た──という見方も含まれます。
サムが現実ではない「父が空を飛ぶ姿(の幻影)」を見たという場合は、リーガンは落ちて亡くなっているものと思われますが、ただ窓を開けてからのサムの動きと表情を見る限り、下を見下ろしたときにリーガンの姿を見つけたとは言いがたいように感じます。
・まず真下を見る
・次に地面の左右を確認する
・そこで何も見つけられなかったため、上を見上げる
・何かを見つけて笑う
ラストシーンの解釈その2:リーガンは落下して死んだ
上記のサムの表情からもやや可能性の低い解釈ですが、リーガンは地面で死んでいたということも考えられます。
その根拠は、⑥と⑦、そしてサムは自身が薬物依存からの脱却中で苦しんではいるものの(もしくは自分も苦しさが解るからこそ)、父親が落ちぶれて焦りを感じていること、幻想・幻影に悩まされ苦しんでいることに気付いていたので、父がそれらの苦しみから解放されたことを知り、何とも言えない複雑で乾いた笑いが出た(つまり天を見上げての笑い)──という見方です。
ラストシーンの解釈その3:リーガンの生死は不明、だがサムは何かを見た
先ほども書いたように、下を見下ろしたときのサムからは何かを見つけたような表情は見られませんでした。
ですのでリーガンが地面に落ちて死んだかどうかは不明。そのかわりに空を見上げたサムは何かを見て象徴的なもの(苦しみからの解放・成功したことや父が銃で死ななかった奇跡への喜び、など)を感じ、あの笑いが出た──という解釈。
この解釈の場合に繋がってくる要素は③と④。火球のようなものはオープニングとラストシーン直前の2回出てきます。
また鳥が飛び去っていく姿は、それを見る者の精神状態・感情によって自由や解放、昇華などを連想したりするのかもしれません。
ラストシーンの解釈その4:リーガンはすでに死んでいた、もしくは死の床にいる
この辺はちょっと無理矢理というか「それ言ったら何でもアリじゃね?」的な面がありますが、リーガンは舞台で銃を撃ったときに死んでいたか、もしくは昏睡状態のようになっていて、その後の病室からの場面はリーガンの想像の世界なのではないか、という解釈。
要素①である「自身の欲するものを手に入れる(⑧)」という展開はリーガンの想像の世界で、実際には舞台で自殺したあとどのような評価を受けたのか、シルヴィアとサムはどうなったのかなどは全て不明──というものです。うぅ~ん、どうでしょう。
ラストシーンの解釈その5:そもそもリーガンは海で自殺していた
これはさすがにないだろうw という解釈ですが、元ネタのFAQにも入っていたので一応入れてみました。
これに繋がる要素は⑤です。まぁもし解釈4とか5が正解だったら絶対オスカー獲ってないでしょうけどね(笑)。
ラストシーンの解釈その6:リーガンが建物の上によじ登っているのをサムが見つけた
病院のビルが普通の形状であれば難しいところかもしれませんが、『マトリックス』でアンダーソンがエージェントから逃げるときにビルのわずかな足場をつたって移動したようにリーガンも建物の上へ登っているのをサムが見つけ、
・父は死ぬために登っているのではなく、何かから解放されてハイになって登っているように感じられた
・下から見上げているので、ガウンの裾からパンツ一丁の姿が目に入った
こういった理由からあの笑いが思わず出てしまったのではないか──という解釈です。
これは案外最も現実的で、なおかつ希望が持てるエンディングの可能性かもしれませんね。
どちらにしても映画では正しい結末というものは提示されていませんし、脚本家も名言していないようですので、見る側がそれぞれ判断すればよいのではないでしょうか。
ってか今もう一回ラストシーンを見てみたら、サムが地面を見てから上へ視線を移す前の一瞬の表情が
「何てこと…」もしくは「何てことを…」(この一文字の違いで意味も変わる)
と言っているようにも思えて、どう解釈すればいいかの判断がまたぐらついてきました。。
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