三崎町三丁目通信

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映画:ルイス・ブニュエル監督作『皆殺しの天使』──名前から考察してみたり

投稿日:2018年3月3日

 邦題の『皆殺しの天使』、なんとも恐ろしいというか絶望感のあるタイトルとなっていますが、言葉の響きや両極端な言葉の組み合わせが絶妙だなぁという印象です。原題の『El ángel exterminador』Ángel(アンヘル)もexterminador(エクステルミナドール)もほとんど英語と変わらない綴りの単語ですが、エクスターミネーターというと「撲滅者」とか「破壊者」といったような意味でしょうか。

 ちなみに私が普段使っているスペイン語の辞書アプリによると「ángel exterminador」とは

 

(旧約聖書の)滅びの天使(ユダや民族の出エジプト後、エジプトの初子を皆殺しにした).

 

 とあります。またパンフレットによればこの映画は原案段階では『プロビデンシア通りの遭難者たち』というタイトルで、その後修正・加筆をし映画にするにあたり『皆殺しの天使』というタイトルにしたとのこと。この『皆殺しの天使』という名前は絵や戯曲のタイトルから採られたとも言われているそうです。なおプロビデンシアprovidencia=英語ではprovidence)とは「摂理」「神意」「神の導き」といったような意味。

 …といったあたりからもキリスト教を連想させる要素が織り込まれていますが(肯定なのかどうかはともかく)、映画の中でも、世界で二番目にカトリック信仰者が多い国であるメキシコならでは──なのかどうかは分かりませんが、羊や教会などが印象的な形で登場します。

 まぁ向こうだと教会は在って当たり前なんでしょうけど、だからこそあのエンディングが一層効いてくるのでしょう。また閉じ込められたブルジョワジーたちの生け贄になった羊はキリスト教における羊の意味、そして「神の子羊」を思わせます。

 

ルイス・ブニュエル監督について

 

 だいぶ端折ってしまってますが、簡単なプイロフィールはこんな感じです。

 監督:ルイス・ブニュエル、スペイン・アラゴン州出身。マドリード大学時代にサルバトール・ダリやフェデリコ・ガルシーア・ロルカなどと親交を結び、のちにパリに移住し、そこで映画監督を志す。スペイン内戦時代を経て、46年メキシコに渡り、63年以降は主にフランスで活動。国籍はメキシコに変えた。主な作品は『アンダルシアの犬』『昼顔』『ブルジョワジーの密かな愉しみ』『欲望のあいまいな対象』など。

 この『皆殺しの天使』も『アンダルシアの犬』などと同様にシュルレアリズム作品として語られているとのことですが、『アンダルシアの犬』は解説などを読むとちょっと見る気になれない描写があるようで…というかどこかでちらっと見たような気もしますが積極的に思い出したいとも思いません。。

 ちょうど、というわけではありませんが、昨年秋に福島県にある、アジアで唯一のダリ常設美術館である諸橋近代美術館に行ってきまして、それまでは「絵」でしか見たことのないダリ作品が立体像になっているものが数多くあり、非常に面白かったのと同時に、シュルレアリズムというものを正しく解釈(または理解)しようとすることの無意味さみたいなものを改めて感じました。

 もちろん情報を元に作者の意図を出来るだけ理解しようとすることは大事でしょうけど、何が正しい解釈かなんて結局誰にも解らないんだから、各々が自分の思ったように受け取ればいいのでは、と思いました。

 この『皆殺しの天使』はそこまで難解ではないものの、それでも不条理な展開や現象、反復される言葉、倦怠感と閉塞感、いら立ち、飢え・乾きによって現れてくるブルジョワジーの人間としての本性など、見ているとこちらもモゾモゾしてくるような不思議な感覚になってきます。

 

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なぜか出られない、外からも入れない

 

 ストーリーはこんな感じです。

 オペラを観劇した後に開かれた、とある邸宅での晩餐会。なぜか使用人たちがあれこれ理由をつけて次々と邸宅から出ていく中、20人のブルジョワジーが宴を楽しんでいる。だが夜が更け、朝になっても、なぜか誰もそこから帰ろうとしない。それどころかサロンからも出ることができなくなっていた。物理的に出られないのではなく、「なぜか」出られないのだ。また邸宅の外では警察や中にいる者たちの家族が詰めかけるが、なぜかこちらも邸宅に入ることができない。やがて食料も水も底を付き、閉じ込められた人々の道徳や倫理も徐々に崩壊していき…

 

 まず最初に「おや?」と思うところは、御一行が邸宅に着いたとき、主のノビレが使用人のルカスを呼び「おかしいな…ぶつぶつ」という場面が二度続く場面。ここは全く同じ場面がループしているわけではなく、使用人の女性2人が帰ろうとしたところに御一行が来たので一度隠れ、やり過ごしてからもう一度出て行こうとしたところ、また同じ面々が入ってきて上記の反復シーンとなります。やや記憶が曖昧ですが、たしかブルジョワジーたちの動きは1回目と全く同じではなかったような。

 そしてもう一度やってくる謎の反復シーンは、晩餐会でのノビレの挨拶。なぜか同じ台詞をここでも言うわけですが、最初は客もちゃんと黙って聞いていたのに対し、2回目はお喋りに夢中で全く聞いていません。そしてノビレ本人も「ん? んん??」みたいになっています。まるで催眠術か何かで操られてそうしてしまったような感じです。

 

レティシア(ワルキューレ)の謎行動

 

 主演のシルヴィア・ピナル扮するレティシア(「じゃじゃ馬の処女」である彼女は“ワルキューレ”というあだ名で呼ばれている ※パンフレットより)が途中いくつかの謎行動をしていて、それが話とどう関係しているのか気になりました。

 ちなみに“ワルキューレ”をwikiで改めて調べてみると「北欧神話に登場する複数の半神」で、戦場において死を定め、勝敗を決する女性的存在──とのこと。勝敗を決する女性的存在………むむむ。

 宴でピアノが披露される前、食堂にひとり残っていたレティシアが窓に向かってテーブルにあった何かを投げてガラスを割ります。また宴の翌日、夜にこっそり壷が置いてあるクローゼットのようなところへ内側から鍵をかけて入って行きましたが、これらの行動は何を意味していたのでしょうか。トイレはまた別の場所だったと思うのですが…

 

人間性をなんとか保つ人と崩壊していく人

 

 当然のことながら、この不可解で過酷な状況のなかでみんな疲弊していき、飢えと乾きによってブルジョワジーのお上品な振る舞いからは外れていき、罵り合いがはじまったり夜這いまがいの行為に及ぶ者もいれば、紙を食べだしたり、また体調を崩したまま薬も何もない環境で死んでしまう人も現れます。

 でも個人的には、もうちょっと恐怖と不安に支配されて人間性を失い、本能が全面に出てくるのかと思っていたのですがそこまでではありませんでした。ただしそれでも羊がやってきたときの皆の顔と、サロンに入ってきたときに囲んで取り押さえるときの描写はジョージ・A・ロメロ監督の映画を見ているようでした。

 

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脱出とその後

 

 私はこれを見ている最中、頭の中を二つの不安がよぎっていました。ひとつは「もしこの空間(劇場)から同じように出られなくなったら怖いな…」という不安。たぶん全国どこでもミニシアターでの上演だったでしょうからより一層恐ろしいことと思います(笑)。そしてもうひとつは「謎のまま何も解決しないまま終わってしまうのでは」という不安でした。こういった不条理劇だったらその可能性はいくらでもありそうでしたので。。

 幸い、どちらの不安も杞憂に終わり、私は無事に劇場を後にし(笑)、閉じ込められたブルジョワジーたちも脱出に成功します。ただしどうやって脱出できたのか、その方法がまた新たな絶望となるわけですが…

 ノビレを生け贄にしろ!なんていう物騒な騒ぎが起こり、取っ組み合いになっていよいよまずいことになってきたとき、“ワルキューレ=勝敗を決する女性的存在”であるレティシアが、帰れなくなったときのサロンにいた人の配置が、巡り巡って今また全く同じになっていることに気付きます。そしてもう一度その時の行動を「反復」しようと呼びかけます。

 ブランカにピアノで同じ曲を弾いてもらい、その後の会話を再現したあとのレティシアの「みんな帰りたいのよ!」という言葉でついにサロンを脱出することに成功するのでした。

 またこの脱出劇が始まる頃、邸宅の外では、最初の「反復」が起きたときに帰っていった使用人の女性2人が、様子を見に戻ってきていたのでした。そういった「何かが起きたときの状況に戻し、反復すること」によって、どうしても抜け出せない何かの「摂理」「神意」から解放された、ということになったようです。

 生きてサロンから出られたことに感謝すべく、皆は教会の礼拝に参加するのですが、そこでまさかの悪夢が再び起こります。

 神父様をはじめ礼拝に来ていた人が全て教会から「なぜか」出られなくなってしまったのです。しかも今度はサロンのときとは違って大勢の人がいます。もし同じ方法で出られるとしても、はたして再現など出来るのでしょうか…。また同じ頃、教会の外ではいくつもの発砲と人の叫び声が。何かが起こっているようです。そしてたくさんの羊が教会へ入っていくところで映画は終わります。聖職者でさえ閉じ込められる…しかも教会に。じゃあ一体どこなら安全なのでしょうか…

 こうやって見終わったあとに情報を整理してみると、ますますタイトルが効いてくるように思います。

 

最後に

 

 今回の上映では他に『ビリディアナ』『砂漠のシモン』も合わせて公開されていて、どちらも見たかったのですが都合がつかず『皆殺しの天使』のみの鑑賞となりました。パンフレットは3作分をまとめたものとなっていたのですが、これがまたいい味を出していまして、DTPが主流になる以前の版下入稿時代を彷彿とさせる、映画や演劇、音楽などのジャンルでよくある/あった、自費出版風情の冊子ぽい作りになっていました。

 おそらくは使用できる画像が保存状態があまり良くない紙焼きばかり、ということを逆手に取ったアイデアなのではないでしょうか。こういう仕事、作る側からすると面白いんですよねぇ。

 余談ですが、今から24年前の雑誌『CREA 1994年2月号 特集:映画の心』にて、室井滋さんが選んだ「死ぬ前にもう1度見たい!100本の映画」の69位にこの『皆殺しの天使』が入っていました。このときから四半世紀近く経った今、また同じ企画で100本選ぶことになったらどんなふうに変わってくるのか、興味があります。こういった企画は映画に限らず今でもよく見かけますが、ネットの記事にはない、雑誌やムックならではの良さがあって全く飽きません。捨てずに取っておいて良かったなぁとつくづく思います。

  • この記事を書いた人

33press管理人

2012年より某地方在住。映画と音楽と雑学とスポーツ観戦が好きで、2017年下半期はツイン・ピークスの新シリーズにはまっていました。フリーランスのグラフィック&エディトリアルデザイナーをやってます。 びっくりするくらい将棋が弱いです。16年にDELE A2に合格。A2てw

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